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ひとりよがりの旧字体
2011年08月04日
すがぬまです。
苗字に旧字体を使う人っていますよね。
例:沢田→澤田、浜口→濱口、渡辺→渡邉
高校生の時は新字体を使っていたのに、久しぶりに同窓会であったら旧字体に変更していたなんて人もいます。
これは又聞きなので真偽のほどは不明なのですが、自分の名前に使われる漢字は旧字体以外は認めないというポリシーを持ち、名前が新字体で書かれた自分宛の手紙は開封せずにゴミ箱に捨てるという、ガンコおやじもいるそうです。
もし本当の話なら少なからず実害があり、いくつかの場面で不愉快なやり取りをするするハメになっていると思うのですが、そのおやじさん大丈夫なんでしょうか?
なんでそんなに字体にこだわるんでしょうか?
戦後、新字体に変更することになったのですから、古文の研究をするとかそういう人以外は新字体を使うことでいいと思うのですが。
恐らく旧字体を使う人の言い分は、
・画数が多い方が美しく威厳がある
・オリジナルの字体を尊重したい
あたりだと思います。
以前、最近の子供の名前がひどい当て字で、まともに読めないことを紹介しました。
それに比べれば、今回のはそこまでは大きな問題ではないと考えています。
しかし、繰り返しになりますが、子供の名前の場合と同種の問題は存在します。
名前は自分のアイデンティティなので、こだわりを持つ気持ちはわからなくもないですが、他方で他人から自分の識別子として使ってもらうものです。
画数の多い漢字しかない難しい苗字なら仕方が無いでしょうが、変なこだわりのせいで余計な神経を使う/使わせるのは避けるべきだと思います。
新旧の字体の違い以外に、異字体にこだわる人もいます。
「タカハシ」の「タカ」は「はしごだかのタカ」なんですといったように、初対面の方には必ず説明したり、逆に相手からどの字体をつかうのか尋ねられるということが一生続きます。
※戸籍上の記載の関係で不便を強いられているケースもあるそうですが、それは国のほうでなんとか改善してほしいですね。
余談その1
サインなら大いに旧字体を使ってもらっても結構です。
中国の有名人でサインは繁体字を使っている人がいますが、サインは正に美しく威厳があるように見せるべきだと思いますので、これはアリだと思います。
余談その2
戦後、新字体を検討する時に「藤」の字を簡単にして欲しかったですね。
通常の文章ではあまり出てこない文字ですが、人名では「藤井」「斉藤」など多用されていますから、例えば「くさかんむり」の下に「月」だけという字体に変えてたら良かったと思うのですが。
次回の字体見直し時に期待したいと思います。
それでは、また。
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